2003~2020年度の川崎医科大学衛生学の記録 ➡ その後はウェブ版「雲心月性」です。
衛生学教室事始
同門会誌(1999年)によせて, 初代教授 望月義夫先生より
衛生学教室事始め
望月 義夫
 昭和47年4月1日、私が川崎医科大学に衛生学教授として着任した時は、まだ大学の校舎棟も附属病院などの入る本館棟も建設中であり、医科大学の校舎、教員研究室、事務室などは、現在の川崎医療短期大学の校舎にあり、また学生寮も松島から生坂に完成した学生寮に移転した直後でありました。

 着任当日、先ずお会いしたのが(故)松本副学長で、その案内で(故)川崎祐宣理事長から辞令を頂き、川崎医科大学の新しい教育理念や、教育が最優先である旨のお話を承りました。

 また松本副学長からは、これからの教室の構築などについて、色々親切なアドバイスを受けました。その際教室の人事については、既に予定されていた難波(佐藤)美子、伊藤恭子の両技術員に加えて、私を助けて教室づくりや教育を手伝ってくれる助手が直ぐにも必要ということで、松本副学長の推薦で菊池和子助手が、寄生虫学教室から衛生学教室に来てくれました。

 先ず教育優先で、講義の準備と実習に必要な機器類の整備に取り掛かりましたが、実際に進みだしたのは、昭和47年に医大校舎棟が完成し、同年8月から10月始めにかけての移転が完了してからであります。衛生学教室に割り当てられた校舎棟6階の実習準備室は狭く、購入した実習機器の置き場にも苦慮しました。また購入機器が期待した性能を発揮しない場合もあり、西林氏など法人事務局には大変お世話になりました。

 衛生学の講義は昭和48年、一期生が4年生の時に環境保健を中心に始めました。当時の学生諸君は夫々個性豊かで意欲があり、講義の際にも緊張感があって、大変楽しい思い出であります。また当初の実習は照度、騒音、粉塵、放射線など専ら物理的環境測定を中心に行い、化学的環境測定は検知管測定のみで、その他は実習室、人手などの制約もあり除きました。

 昭和48年秋に医科大学研究棟、附属病院などを含む本館棟が完成し、各教室にパイロットスタディ実験室が割り当てられて、教室の研究体制の整備、充実もやっと軌道に乗り出しました。

 また当時、医科大学全体の組織づくりと充実が進むなかで、教員間の交流も活発で、例えば昼休みには、本館棟5階の中央秘書室前ロビーに村上先生、福原先生、山崎先生、長花先生、三上先生、野田先生(何れも故人)など大学時代の恩師や大先輩が集まられて、医学教育論や学問の話などが展開され、また色々お教えも頂きました。

 このように開学初期は、まだ完成途上で何かと不足勝にもかかわらず、教員も職員も学生も一致して、我々の手で全国に例を見ない新しい医科大学を作り上げようと、意欲に燃えておりました。

 以上、川崎医科大学および衛生学教室開設当初を知る者として、当時を思い出すままに述べてみました。

 今日の衛生学教室、川崎医科大学そして川崎学園は大きく発展しました。創設当時を思い出して感無量であります。川崎医科大学衛生学教室が植木絢子教授のもと教室員の皆さんが力を合わせて、これから21世紀に向かって、さらに大きく医学教育に、研究に貢献されるよう心から祈っております。